仕事力:錦織一清が語る仕事

錦織一清が語る仕事①〜④

朝日新聞デジタル(2021年11月14日)
錦織一清が語る仕事①

朝日新聞デジタル(2021年11月21日)
錦織一清が語る仕事②

朝日新聞デジタル(2021年11月28日)
錦織一清が語る仕事③

朝日新聞デジタル(2021年12月5日)
錦織一清が語る仕事④

スポンサーリンク

錦織一清が語る仕事①

自分の本気を探し続けよう 10代で芽生えたプロ意識

個性を見守る育て方だった

 高校生だった6歳年上の姉が僕をジャニーズ事務所の公募に応募し、オーディションを受けることになったのがそもそもの始まりです。当時の女子高校生はみんな、弟がいたら応募してみようよと楽しんでいたらしい。どうせ通るわけないと言っていたら連絡があり、何をするのかも分からないまま姉について行きました。

 その場で踊る指示でしたが、経験もないので前で踊る人をまねて動いていたら、事務所代表のジャニー喜多川さんから「ユー、天才だね」と言われたことを覚えています。褒められたのはこの時が最初で最後だった気がしますが(笑)。小学6年でオーディションに受かったもののタレントになる気はなく、子どもの頃から体を動かすことが得意だったので、将来は体育教師を夢見ていました。ただ、初めて自分の体をうまく使いこなせなかった「踊りという運動」に出会って面白くなり、週末は事務所で行う踊りのレッスンに通い始めたのです。

 僕はオーディションで体育の教師になりたいとはっきり希望を話したので、ジャニーさんはタレントやアーティストになれとは一言も言わず、自然体のまま受け入れてくれました。決して本人の思いを邪魔しないのです。その代わり僕たちを様々なショーや映画に連れて行って、どんな場面でゾクゾクし興味を抱いたか一人ひとりを観察していた気がします。きっと、若い僕たちそれぞれの個性を突き止め、その人らしく育てることに心を砕いてくれたのだと思います。

 うまくできなきゃ駄目だと強く言われることはあまりなかったものの、「自分は頑張ってるんですけど」と言い訳をした途端にこう諭されました。「頑張るなんて当たり前。でも、お客さんは君たちの頑張りを見に来ているのではない。面白いか、楽しめるか、それを期待して来てくださるのだ」と。レッスンの厳しさは何のためか、プロフェッショナルとは何かを早くから教えてもらっていました。

 それでも、この世界でやっていくと決意したのは高校生になってからです。硬派な僕はスパンコールの鉢巻きや白いパンツスタイルが恥ずかしかったけど(笑)。

可能性はグイグイ引き出す

 アイドルグループ「少年隊」として歌手デビューしたのは1985年、20歳。それよりかなり前の16歳ごろから頻繁にロサンゼルスやニューヨークで踊りなどのレッスンを受けていました。ぜいたくなことに先生は、歌手マイケル・ジャクソンさんの曲「スリラー」などを手がけた振付師マイケル・ピータースさんですから驚きです。その他、日本でも一流の先生方ばかりから指導して頂いていた。難しい振り付けで切れよくスピーディーに踊り続け、それでも歌う場面では息切れ一つしないトレーニング。大人の本気が注ぎ込まれていたんです。

 演出するジャニーさんは時々、ステージ本番前にいきなり曲目を変更することもありました。しっかり練習を重ねて構成されているのに変えられたら、僕らはパニックになりますよ。でも「それを何とか乗り越えようとする人間性は必ず客席に伝わっている。感動を生む」と言うのです。固定観念に揺さぶりをかけ、可能性を引き出すことに懸けている人でした。(談)

スポンサーリンク

錦織一清が語る仕事②

自分の本気を探し続けよう どんな人間か人は見抜く

自分の居場所は舞台か

 12歳でジャニーズ事務所に所属し、20歳でアイドルグループ「少年隊」として歌手デビュー。それ以前の16歳ごろから、国内外の一流指導者の充実した踊りや歌などのレッスンを受けさせてもらいました。事務所代表のジャニー喜多川さんは、僕の「体育教師になりたい」という夢を見守りながらも、人を感動させるプロ意識を育ててくれた。若い僕らの可能性を引き出すことに懸けてくれる存在でした。

 少年隊はテレビの歌番組や多くのライブで息つく暇もないハードスケジュールでしたが、メンバー一人ひとりの個性を見極めて新たな仕事も投げかけられました。僕の場合は、アメリカ発のミュージカル「GOLDEN BOY」の主演でボクサー役、2時間半を超える舞台でした。初めて経験する事務所以外での製作であり、共演者は歌手・俳優の尾藤イサオさん、俳優の西岡德馬さんなどスターばかり。まだ23歳そこそこの僕はどれだけ不安だったか(笑)。

 お二人から芝居というものを細かく習ったわけではないのですが、セリフ一つ、声の出し方一つがとてもシャープでカッコよく、盗みたくて自分の出番が終わっても稽古にずっと張りついていました。尾藤さんはジャグリングも得意だし、僕たち世代にとってはテレビアニメ「あしたのジョー」の主題歌を歌ったヒーローです。舞台でもキラキラと輝いていましたが、全ては自分が楽しんでいるからだと気づきました。

 この後あたりからドラマや映画の仕事も増えていきますが、僕は出演者がバラバラに撮影に臨むことの多い映像より、稽古場でみんな一緒に作品を仕上げていくのが好きです。それが天職かも知れないと30歳近くになって思い、ジャニーズのステージ演出をやり始め、舞台の仕事に力が入っていったのです。そして劇作家・演出家のつかこうへいさんの舞台「蒲田行進曲」の主演にと声をかけて頂いた。かつて舞台と映画両方で大ヒットした名作で、型破りな映画スター、倉岡銀四郎役です。「え、僕でいいの、何で?」と心底驚きました。

名言「役作りなんていらない」

 つかさんに最初に会った時に「俺はお前の声を3日で潰そうと思ってるから」と言われたのですが、案の定2日で潰れてのどから血が出ました。小声は許されず、本気でがなっていなければなりません。それは、生半可に考える表現を壊し、本人に備わっている素材を生かすためだったようです。「役作りなんていらない、役柄なんてどうでもいい。俺が見たいのはお前だ、どんな人間か見てる」。そして、お客さんも演技ではなく本人を見に来ているのだと。

 この舞台体験で極端に僕の中で変わっていったのは、芝居がうまくなきゃいけない、踊りも歌もうまくなきゃいけないといった「うまくなきゃロジック」に興味がなくなったことでした。つかさんと知り合ってから、例えば優しいセリフは、役者が本当に優しい人間でなければ届かないと分かるようになりました。僕は映画『男はつらいよ』が大好きですが、主人公の車寅次郎を演じた俳優・渥美清さんは、間違いなく寅さんの温かさを持つ方だと思います。つまり、自分が持っている「人としての真っすぐさ」が伝わるのだと学びました。(談)

錦織一清が語る仕事③

自分の本気を探し続けよう さらけ出せれば強い

僕は頭で考えがちだった

 アイドルグループ「少年隊」は3人組ですが、個性に合わせた個人での活動として、僕の場合はミュージカルや舞台などの分野で様々な仕事が増えていきました。中でも劇作家・演出家のつかこうへいさんの舞台「蒲田行進曲」で主演にと声をかけて頂いてから、僕の「うまくなきゃいけない」という思い込みが大きく変化しました。なぜならそれは、「役作りなんていらない。俺もお客さんも見たいのはお前がどんな人間かだ」という、つかさんの指南があったからでした。

 役柄を頭で分かろうとするな、役の人物が自分だったらどう生きるか。そう問われていたわけですが、始めの頃は何がなんだか分かりません。つかさんは僕のいない所でプロデューサーに、「あいつは破綻(はたん)がねえんだよな」と頭を抱えていたらしい。でもやがて僕は、例えば「何言ってやがるんだ!」というセリフなら、リミッターを超えて本気で怒鳴ることを求められていると気づきました。「芝居ってこういうものだ」という生半可な考えを頭から追い出す覚悟が必要だったのです。

 僕にはもう一人、とても尊敬する方がいます。中学生の頃からずっとファンであるロックミュージシャンの矢沢永吉さん。今日まで日本武道館での単独コンサートを百数十回やり続けられる、その魅力はどこにあるのか。僕なりに突き詰めて考えると、舞台の上で人生を見せてくれるからだと思うんですね。10代で上京して音楽で大成功してから、自分の会社が潰れるほどの金額を仲間に盗まれた。かなりの年齢でどん底になっても、それを乗り越えてきた。そして隠し事は一切せずに苦しかったことをさらけ出してこられた。

 今もファンは熱狂的で、僕のように年齢を重ねても本当に熱い目で生身の「俺たちの永ちゃん」を見ている。矢沢さんが、芸能界やマスコミなどのフィルターを通さず一対一の気持ちでファンに寄り添っているからだと感じます。自分で曲を作り、歌い、よかったら見に来てくれ、嫌いなら構わないという、ご機嫌伺いなんかしない潔さ。僕は、つかさんと矢沢さんからその魂をもらったと思います。

本来の人間性にふたをするな

 僕は現在、演出の仕事を主に手がけていますが、役者を目指す人の心の中には自分そのものを見られたくないという思いが潜んでいると感じています。なぜなら、演じることで本来の己にふたをできるから。でも、本当は役の後ろに隠れず、それを手がかりに怒りや優しさを全部自分の中からほじくり出すことこそ、人間を表現する役者の仕事だと思う。

 もちろん人のことは言えません。僕も30代半ばでつかさんに出会って、自分自身をありのままに解き放つ大切さにようやく気づいたのです。だから伝えたい。表現のテクニックやディテールをどこからか仕入れてくる必要はありません。そこに自分がいればいいのです。

 それは役者の仕事に限らないかも知れない。先に進む時には、誰かのようになりたいとか、世間から評価される道を選ぶとか、外に目を奪われやすいでしょう。迷うのは当たり前だと思う。けれど「本当にいいのか」と自分に問いかけてみて欲しいです。(談)

錦織一清が語る仕事④

自分の本気を探し続けよう 年齢はブレーキだろうか

まだジタバタしていいと思う

 若い頃からテレビや舞台に出演する多くの仕事があり、さらに俳優や演出をする機会も頂き、僕は恵まれてきたと思います。また、自分の思い込みや殻を破ってくれる一流の演出家を始め素晴らしい方々に出会い、仕事に取り組む心構えを鍛えられました。そして僕は、見えを張らずに自分をさらけ出せば強いということを学び、走り続けてきたのです。

 今は50代半ばを過ぎ、独立して舞台演出やソロの音楽活動に力を注いでいますが、ただ、この年齢になると仕事への向き合い方は自分で探さなくてはならないと感じますね。どんな分野でも50代は責任のある仕事が少なくないから、「自分はこうでなければ」と踏ん張って重圧に悩む場合もあると思う。一方で「自分はこのままでいいのか」と次の道を模索しながら立ち止まる人にも度々出会います。

 僕の中でも別の声が「自分に期待し過ぎてないか」と言ってくる。これ以上できないことに悩むなんておごりじゃないのか、格好つけてるんじゃないのかと。でもそれは仕方がない、誰でもそうやって仕事で成長しなきゃと生きてきたから。けれどそのルートが行き止まりだと感じたら自分の思うままにジタバタしてもいいのではないか。メインストリートを歩く可能性がなくなったら、行ってみたかった細い裏道を探してみればいいと思うんです。

 かつて僕が演出した役者さんが「今回の役柄は僕にはハードルが高い。この芝居不安なんです」と言ってきたので、「お前はハードルを跳ぼうとしてるけど、そんなに高いハードルならくぐってもいいんだよ」と答えました。みんなと同じように格好良く走る必要はないのだから、君のやり方でゴールを目指してみたらと伝えたかった。人はできない理由をいくつも探しますが、言い訳よりゴールすることこそ最優先。「この年で今更みっともない」などとブレーキをかけなくていいと思っています。

悔しさは力に変えられる

 弱ってきた自分をさらけ出すのは怖いし、恥ずかしい。必死になっている姿を人には見せたくない。それはとてもよく分かります、僕もずっと葛藤してきたから。実は、いつか映画のフィルムに残る俳優になりたかったんです。所属していたジャニーズ事務所では華々しい映画スターになった仲間が少なくありません。でも僕には代表作となるような映画への扉が開かなかったから、正直に言えば悔しい思いが今も胸にあります。

 けれど今になってそんなことを嘆いても仕方ありません。その代わり舞台への扉が開き、出演から演出までたくさんのチャンスがもたらされ、幸運なことに現在の仕事につながっています。だからこそ、これからいつになるか分からないけれど、映画を超える1本の演劇を作れれば良い人生だと思える僕がここにいます。やれることはやってきたからもういいかと、自分をラクにして逃げるのはずるい気がするんですね。

 きっと誰にでも自分だけの「やり残し」があるのではないですか。何と言われようと「悔しいまま」の仕事や夢は、年齢をものともしないパワーを秘めている気がします。僕は、そんな思いを実現したい方々の応援団長でいたいと思っています。(談)

スポンサーリンク